2017年02月24日

上農は草を見ずして草をとる

ひさしぶりの庄内は、相変わらず鈍色の空。鶴岡駅周辺は人もまばらで、雪交じりの強い風は、この地方らしいやり方で私を歓迎してくれました。学生時代5年ほどの時間を過ごしたこの地を訪ねたのは、人生をそろそろ振り返ろうというわけではなく、自然栽培の研究をされている粕渕辰昭先生にお会いするためなのでした。粕渕先生は、自然栽培における、中耕除草(注)の大切さを研究と実際のコメ作りで明らかにされていて、前々からお話を伺いたいと思っていました。田んぼ作業がないこの時期に押しかけていいですかとお願いすると快く承諾してくださいました。

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粕渕辰昭先生。穏やかな笑顔で迎えてくださいました。

粕渕先生は、現在、山形大学名誉教授。土壌物理学を専門に研究され、山形大学には教官として17年にわたり勤務されました。ちょっと話が変わりますが、山形大学は、いわゆるタコ足大学で、教養課程(大学一年次)は山形市小白川キャンパスで学び、二年時以降鶴岡市(農学部)や米沢市(工学部)に移動します。今思えば不思議な巡り合わせで、ちょうど私が専門課程に移るころ、先生もまた山形大学農学部に赴任されたのでした。しかも、このころ大学は全国的に改組(学科や学部のありようをいじること)が盛んで、カリキュラムも結構かちゃかちゃになっておりまして、ほんらい林学の学生だった私が、農業工学に所属されているはずの粕渕先生の講義を聞くことができたのでした。

粕渕先生は、これまで、エネルギーや物質が土の中をどのように流れるのか、あるいはそれをいかにして測定するかといった土壌物理学におけるメジャーな分野で研究をされてきた方です。それがどうして自然栽培に興味をもち、さらにはご自身で栽培をするに至ったのか。粕渕先生に話をうかがうに、10年ほど前のある出会いが運命的なものだったのだと思います。毎年日本のどこかで行われているトンボサミットが、山形大学農学部で開催されたときのことです(全国トンボ市民サミット庄内大会in鶴岡)。退官まであと2年というこのとき、粕渕先生は、請われて実行委員長を引き受けました。このトンボサミットの会場で、荒生秀紀さんその人に出会ったのでした。当時、会社員をやめ有機栽培によるコメ作りを始めていた彼は、その後、修士課程の学生として粕渕先生のもとで学ぶことになりました。この出会いが無肥料・無農薬、いわゆる自然栽培の実践へのきっかけとなり、以来9年にわたる大学農場(山形大学農学部附属フィールド科学センター高坂農場、以下農場)でのコメ作りへのスタートポイントとなったのでした。

さて、荒生さんの研究テーマについて、バリバリの土壌物理学ではなく、自然栽培を選んだのは、荒生さんが水稲栽培そのものに興味があるというだけでなく、粕渕先生にとっても是非確かめたいことがあったから。以前、片野学著「自然農法のイネつくり」を読んだときに、面白い記述をみつけます。

熊本県天草郡新和町で四月移植の早期栽培に取り組む山角和好氏は除草機押しを道楽にしている。氏は活着後二、三日おきに合計10回以上押している。収量成績は新和町の平均単収を常に上まわる好成績を残している。除草機を押すと数日後には葉色が黒くなることは古くから知られており、土壌中のチッソが無機化されていることを示している。

除草機を押すことが、実は、除草そのもの以上の効果があることを、実にさらっと書いてあります。つまり、除草機を押すことが追肥(あとから肥料をほどこすこと)をふるのと同じ効果があるというのです。これが事実かどうかを確かめるため、農場に田んぼを借りうけ、無肥料・無農薬によるコメ栽培を荒生さんとともに始めます。最初に借りた田んぼは決して条件の良いところではありませんでした。けげんな様子な周囲をよそに、8回除草機を押し、収穫のときを迎えました。十分な収量が得られることがわかると、粕渕先生にとって今まで仮説だったものが確信に変わったのでした。すなわち、除草機を押すこと自体に施肥効果がある。ではそのメカニズムはなんなのでしょう。

イネの生育期間中に8回も除草に入ったら、草なんてもうすっかりなくなってしまいます。いつもきれいなものです。それなのに効果があるというのは、土をかき混ぜることに意味があることを示しています。はて、そのココロは何か?田んぼに水をはると、土の表面に様々な微生物が繁殖します。こうした微生物のうちラン藻や光合成細菌が大気の窒素を固定することは古くから知られています。土をかき混ぜると、当然ながらこれらの微生物は土のなかにすきこまれ、更地になった土の表面にはまた新たに微生物が繁殖します。除草機を押すことが、知らず知らずのうちにこのような作用をもたらしているのではと思い至ります。ここまでくれば、あとは測定。それはもう専門家ですからお手の物。調べてみると一日あたり田んぼ1反(1000 m2)あたり100 gの窒素が固定されていることがわかりました。しかし、このような作用は太陽光が届く、土表面のごく薄い層(2 mm以内)でしかおこりません。この窒素は菌の体にとりこまれた状態で存在するので、この狭い空間で微生物が飽和してしまうと窒素も増えようがありません。この表面の土をかき混ぜることで、土表面での微生物の繁殖を促すとともに、より深いところへ窒素をすき込むことができるのです。

すごい発見だ。と思ったとき実は先人がすでに見つけているという話はよくあることです。そう考えた粕渕先生は、明治以前の農書を読みあさります。そうすると出てくる出てくる。多くの文献が田んぼを何度もかき混ぜるのがよいと伝えています。中には、「中打ち8遍、犬を餓死させる」とあり、中耕を8回するとクズ米が出ないのでイヌにやるご飯がなくなるという意味だと説明されています。つまり、単に量がとれるだけでなく、品質も高いということです。そういえば、「上農は草を見ずして草をとる」というのは、けっこう有名なセンテンスですよね。これも江戸時代の農書にある言葉なのです。私はこれまで、早め早めに仕事をした方がいいよぐらいの意味だと思っていたのですが、田んぼの土をかきまぜることの重要さを認めた今、私自身のあさはかさに打ちのめさるのでした。嗚呼。

さて、そろそろ、この有意義な会見も終わりそうなころあいになって粕渕先生がこうおっしゃいました。最近荒生さんに「だんだん農家になってきましたね。」と言われとても嬉しい気持ちになったと。研究者として大学教官として業績を重ねた方が「農家」と呼ばれてうれしくなるのを不思議に思う方も多いかもしれません。でも、農学は農業と一心同体なはずで、農業そのものにかかわり農家として認められるというのは研究者にとって行くべきところへたどり着いたというべきでしょう。現在、農学は細かく分け隔てられたそれぞれの分野で、それぞれに研究が進められています。こうした傾向は強くなるばかりで、おのずと農学が農業と隔絶していきます。まあだからと言って研究者ばかりを責めたいわけではありません。研究者は業績をあげ、研究者のコミュニティで勝ち残っていかねばなりません。ちょうど土の表面に住む微生物のように狭い世界で。しかし農業そのものはその下のより深い土のなかで立ち働いているのかもしれません。ここでもやっぱり「かきまぜる」ことが大切になってきているようです。


注: 中耕とは、作物がある状態で周囲を浅く耕起することで、土の風化を促したり草を減らしたりする効果がある。

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2017年02月12日

大きいつづらと小さいつづらどちらでも好きな方をどうぞ ―強い農業とは何か―

TPPがとりざたされはじめた前後から、農業改革の旗印として、「強い農業」という言葉がさけばれて久しいですが、この「強い」っていうのはいったいなんなのでしょう。また、この「強い農業」のために政府は「大きい農業」を求めている一方、日本の各地で「小さい農業」で利益を上げている方々が現れています。どちらがより強いのか、そもそもそんな問題設定でいいのか。日本人は、大きい方か小さい方かときかれたら小さい方と答えるのがベターとすりこまれていますが、舌切り雀のおじいさんは体がちいさいから小さい方のつづらを選んだだけだし、よくばり爺さんもいわれたとおりにちゃんと家まで帰ってから開けたら、大きいつづらにはそれなりの宝物が入っていたかもしれません。さて、あなただったら、どちらのつづらを選びますか?

まず、政府がいう「強い農業」について確認しましょう。てっとりばやく、農水省のページで「強い農業」について調べます。強い農業づくり交付金実施要綱というのをみると、まあ、さっぱりわからん。優秀な方々がわからないように書いているから、もう暗号文なみ。しょうがないから、時論公論 「TPP対策 強い農業は作れるか」(NHK online)をみると、TPPが導入されたらアメリカなどから農産物が入ってくるから、それに負けない農業という意味で「強い」ということなのだと、なんとなくわかります。

負けない強さ。よいひびきだ。あの曲がかかりますよね。簡単な言葉だけど、頭の中のいろんなところを刺激してイメージをふくまらせます。でも、この負けないっていうのが、「価格競争で負けない」っていう意味だとわかると、いっきにしょぼーんとなる。ようするに安いものが入ってくるから、もっと安いものを提供すればいいじゃんってことになるわけですね。

そして、その具体策が、大規模化とそれを進めるための融資。金を貸してやるから大きくやれということです。大規模化でコストを小さくして、安い農産物を作る。この一点において明快です。まあ、大規模化による低コスト化については経団連あたりがずっと前から言ってるし、元農水官僚がそのすばらしさについて何冊も本をかいていたり。外圧がかかってきて、これ幸いと、一気に加速したれというのが本当のところでしょう。農産物が安くなって食費が下がれば、労働者の賃金を下げることができ、最終的に製品コストが下がると信じています。じゃあ誰が買うんだよそれ?という疑問はわかないんですね。

ここまで国あるいは政府側のいう「強い農業」についてみてきました。それは大きくて強い農業なのでした。これに対するカウンターなのかはたまたそんな気はないのか、「小さいけど強い農業」というのがもりあがってきています。まさにそのまんまのタイトルなのが、久松達央著「小さくて強い農業をつくる」。また、「強い」とはうたってないけど、西田栄喜著「小さい農業で稼ぐコツ」もとっても人気が高いですね。このお二方をふくめて、買う側のニーズを拾い上げつつ、自分の目指す道を歩みつつ、しなやかに、そしてややニッチに経営を成立させている方々が日本中におられます。こういう方々は、一見突飛なことをしてるみたいですが、得意分野を伸ばしたり、無駄な設備投資をやめたり、少量多品目のメリットを生かしたり、正しい企業経営を実践しているというのが私の感想です。

大きい農業と小さい農業。どっちが強いか。舞の海が曙を相手に金星をあげたら拍手喝采な日本人のひとりとしては(曙が日本出身じゃないというのはここでは問題じゃないぞ)、小さい農業を応援しちゃいたいところですが。小さい農業というのは、自己完結しているから成功しても失敗しても自分の責任範囲内。いろいろチャレンジもできるし、融通もききます。はっきり言ってやりがいがありますよね。一方、耕作放棄地や雇用の受け皿として機能させるのは簡単ではありません。それに個人の能力に高度に依存していています。片や、大きい農業は、大型の機械や施設を利用してスケールメリットを生かすことでコスト減を狙うことができ、放棄地を吸収したり雇用を提供したりできます(とはいえ、大規模化に伴って零細農家をなくして、その何分の一かの人数を雇い入れるだけなんですが)。しかし、大きくなるといろいろ難しいことがあります。大きくなるためには少なからず人を雇い入れることになります。そもそも人を使うというのは、簡単なことではありません。雇う側にそれなりの訓練が必要です(雇われる側ではなく)。特に自分が人に雇われたことのない場合、従業員の心情を理解するのは難しいことです(ここんとこテストにでるよ!)。また、現在、農業にいろんな能力や経験を持った人間が流入してきています。これを小さなものさしで計ると宝のもちぐされになり、各種才能をジューサーにかけてミルクセーキみたいにして使っています。従業員の方もひかえめな人が多いから、だまってくさってやめてしまいます(それで相手がわかってくれるなんて思うのは甘い)。結局、労務やら評価やら経理やら普通の企業がやってることをちゃんとやらないと成立しません。うちは農家だから〜とかいってると早晩退場することを余儀なくされます。

大きい農業も小さい農業もメリットとデメリットがあり、比べるのは簡単じゃないと感じます。ただ、海外からの安い農産物と戦ってどちらが残るかといえば、小さい方かなと考えています。根拠としては、大きい農業の方は輸入農産物と正面衝突するのに、小さい農業の方は、もともとあまり値段にこだわらない層に依存しているからです。とはいえ、TPPがなくなった今、アメリカの輸出補助金が生きたまま二国間協定なんか結ばれた日にはどちらもただではすみますまいね。だから、大きかろうと小さかろうというべきことはちゃんと言えるようになる。それも企業責任というものです。まじでやばいから。

さて、ここまできてちゃぶ台を返すようですが、農業をやっている環境、まわりの産業や人口の構成、作目がそれぞれ違うので、大きい農業と小さい農業がどっちがいいと簡単に言えませんよね。それにすでに大規模なところが小規模になることはできませんし、その逆も簡単ではありません。大きい農業と小さい農業の間に中くらいの農業ややや小さい農業もあっていいはずです。そもそも問題提起がナンセンスでした。ここまで読んでいただいた方には申し訳ないです。結局のところ、今与えられているものを生かしていけるかどうかが問題じゃん?くらいのありきたりな総括しかできません。ただ、農業を上から守るんじゃなくて、それぞれの農業法人や農家が大きいなり小さいなりにそれぞれに努力することで結果として農業が守られるというのが本当かなと思います。もちろん、何らかの交通整理は必要だから、みんなで寄り集まって(国境を越えてもいい)、ひとつふたつ上のレベルでものを考え提案していく。だいたいなんで海外の農業と戦わなきゃいけないんですか?そんなセッティング必要なんですか?そこまで考えてより大きな意味での「強い」農業をめざしていけたらいいと思うんですが、どうですかね?それこそ地球レベルで。
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2017年02月05日

あ、アオリイカばっか釣ってちゃだめじゃないすか ―生態学的にかっこいい生き方―

鉄を溶かしたような太陽が水平線に滲んでいる。もう直に暗くなるが、青銀色のリアリスティックなエギをスナップにかける。この時間はアオリイカの活性が高いから、好みのものを使う方がしっくりくる。すっと一投すると、リールからラインがばらばらと繰り出していき、やがて落ち着く。本日最初のキャストでもあるし、ラインの緩みをきれいにまきとると、それが訪れるまでしばらくまつ。ラインに人差し指を添え、テンションを感じる。そのことで着底がわかるかといえば、自分でも疑わしい。ひとつのまじないのようなものだ。来た。そう想うや自然に腕がサオを振り上げ、エギに生命を与える。再度、沈みかけたところへもう一度、と、今度はドーンとした手ごたえとともサオがしなる。早いな。しかも大きい。そうつぶやきながら、一定の速度でリールを巻く。あたりはすでに薄暗い。しかしもう見えてきた。大きい。てゆうか、長い。って、海藻じゃーん。

前回、海藻利用の話をブログ(海とのかかわりから自然栽培を考える)にかきましたが、新井先生のお話はそれだけではなく、特に盛り上がったのは「磯焼け」。しかも、その磯焼けに最近(でもないか)はやりのエギング(アオリイカをルアーで釣ること)が関係しているかもと聞いて、これまた興味がわいてきました。というわけで、今回は、自然栽培とあんまり関係ありませんが、磯焼けの発生および傾向と対策に関するやや偏った一考察と、およびそれを前提とした、ハイクラスなライフスタイルについて提案したいと考えています。

まず、磯焼けとは何か?ですが、
 磯焼けという言葉を聞いたことがある。・・・・68.2%
 磯焼けは沿岸の海藻群落の衰退を意味する。・・18.6%
 磯焼けを見たことがある。・・・・・・・・・・7.8%
 海苔でくるんだ切り餅のことだ。・・・・・・・5.4%
といったところでしょうかね。磯焼けとは、シンプルにいえば、海藻がいなくなってしまうことです。あるべきところで。特に、ワカメや昆布など海藻らしい海藻がなくなった後、石灰藻なるものが広がって白っぽく焼けたようになることがあるため、磯焼けといわれています(必ずしもそうなるわけではない)。海藻は、海の動物たちにとって、食糧であり、住処であり、産卵の場であり、生態系の基礎となる役割をもっているため、これはゆゆしき問題だといえます。まあ、このご時世、ゆゆしき問題が食べ放題バイキングで、胸焼けマックスですが。

磯焼けは、19世紀初めごろからすでに報告があったそうですが、1994年に「森は海の恋人」という本が出版されたことをきっかけに海とあまりかかわりのない方の耳にも入るようになった言葉でしょう。この本をかかれた畠山氏は、森林の土からの供給される養分が海に流れ出て海藻を育てると考え、家業の漁師のかたわら植林をつづけました。当時、林学の学生だった私は、すたれ行く林業と林学に道を失いかけていましたから(え、今も?)、森林が海を育てるっていうのは非常に魅力的な話だったし、畠山氏を尊敬しました(あ、これは今もね)。畠山氏の活動を支持した、北海道大学の松永氏は、海藻やプランクトンに必要とされる鉄分が海に供給されるためには、森林土壌の腐植が大きな役割をもっているとし、これまた適度に科学的な説明(やや難しいということ)で受け入れやすいものでした。しかし、美しい仮説が、事実とは限らない世知辛い世の中なもので、現在、磯焼けにとって森林の有無はもっとも重要な原因とは考えられていません。

と、そんな私に、アイゴやメジナなど草食の魚によって磯焼けが起きるのです。と新井さんが唐突にいう。え、今なんとおっしゃいましたか?といいよりそうになりつつも、そんなこと知ってるよみたいな顔して話を伺いました。特にアイゴが重要なようです。アイゴという魚は、西太平洋の暖かい地域の沿岸部に生息する魚で、海藻を好んで食べます。日本では岩手県および新潟県以南に分布しています。南方系の魚なので、寒い海では繁殖できないのですが結構北上してくるのです(死滅回遊あるいは無効分散)。当然ながらもっと北では別の原因ということになりますが、ここでは触れません。あしからず。
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アイゴをみたことないけど、こんなやつです

さて、宇宙から突然やってきたわけでもないアイゴが、どうしていきなり海藻を食い尽くしてしまうのか?それは地球温暖化による海水温上昇のせい。以前は、冬になると水温の低下とともに魚の活動が鈍くなり食欲も低下する一方、海藻は寒い時期ほど繁茂するうえ食害も少ないのでせっせとバイオマスを確保できていたわけです。ところが年間を通して海水の温度が上がってくると、活動が低下するはずの冬にもアイゴが海藻をどんどん食べてしまい、海藻はピーク時にやられるので回復不能ということになるのです。

さらに考えるべきこととして、こうした海藻食の魚たちを食べる高次の捕食者(フィッシュイーター)の影響があります。ブリやスズキといった魚類やイカの仲間がこれにあたります。わかりやすい話として、こういう魚が減ると、海藻食の魚が増え、海藻が減る、というストーリーが成り立ちます(ちなみに、このようなトップダウンの効果をトロフィックカスケードあるいは単にトップダウン効果といいます。逆に海藻が減ってそれを食べる魚が減ったというのはボトムアップ効果です)。そういえば、一昨年はブリがぜんぜんとれませんでしたね。また、近年、ちまたではエギとよばれるルアーをつかったアオリイカ釣りが盛んになり、かなりの数が釣り上げられてしまっています。以前は、海で泳いでいると、まるで宇宙艦隊みたいにアオリイカが浮遊しているのをみることができました。近づくとジェット噴射でビシュっといなくなります。最近はあまり泳ぎにもいけないので変化のほどはわかりませんが、新井さんによるとずいぶん警戒心が強くなっているとのことでした。アオリイカは自分の口より大きな魚を捕食できるし海藻の群落内で狩りをするので、海藻食魚種の捕食者として重要な役割をもっているでしょう。こうなると、より高次の捕食者として磯焼けにヒトが大いに加担しているという可能性もでてくるのです。
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アオリイカ。写真持ってるけど、流れで絵です

ここまで、磯焼けの原因として地球温暖化によるアイゴなど海藻食魚類の行動の変化と高次の捕食者の減少を紹介しました。それじゃあ、われわれはどうすればいいのか。地球温暖化については、残念ながら、もうどうにもならなりませぬ。一方、後者については、実際釣り人による捕食圧の影響がいかほどなのかは不明だから、取り組むべき課題として優先度が高いとはいえません。しかし、アオリイカばかりを乱獲するというのはそれ自体問題があるのは明らかです。だから、たとえ調子のいい日でも、大きな個体なら1、2杯も釣り上げたら、肴には十分だと満足して家に帰るか、あるいは、アイゴを狙って磯釣りにシフトするとか。いずれにしても、海の食物連鎖を頭の片隅におきつつ、釣りをたしなむというのがハイレベルの釣り師です。断言。また、アイゴという魚は、釣ってから時間がたつとハラワタのにおいが身についてちょっと食べにくくなります。そこに気をつければとってもおいしい魚だそうで、皿までなめたくなるという噂です。食べたことないけど(石川では出回ってません)。一方、メジナは普通においしい魚ですが、皮を剥がずにあぶったり(焼き切り)熱湯をかけて(湯切り)刺身にするのがオツです。そういう多彩な魚の特徴を知り尽くし、おいしく調理できるというのも海洋国家に生まれた身として是非とも身に着けたいスキルです。最近、魚をさばける男子はもてるらしいですぞ。また、釣りをしない人も、マグロやブリのサクばっかり食べずにいろんな魚をスーパーで買って食べる。売れるんだってことになれば、漁師も獲るよってことになるでしょう。食事をするときには、自分の体の栄養バランスを考えることはもちろん大事ですが、それと同時に食物網への影響もバランスをとることが求められているわけです。

もうお帰りかい?と最近ここ顔見知りになった男が声をかけてくる。ああ、アオリイカはあきらめて、磯釣りにしたらアイゴがずいぶんかかってね。早く帰ってさばかないと。
うん、じゃあ、また。

注 今回の内容は新井さんから聞いたお話と私の思い込みがないまぜになっているので、事実に反していても新井さんに不平を言わず、酒の肴にでもしてください。
posted by ばんばスタッフ at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 里山・里海
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