2016年03月24日

春告げ鳥を追い立てる

東京あたりではもう桜が咲いて、すっかり春めいているようですね。石川でもつぼみがピンク色にふくらんできている今日このごろです。


みなさんこんにちは。田んぼでも作業開始です。去年コンバイン(イネを刈る機械)で踏みつけた後、冬中放っておいて、すっかり堅くなっている田んぼを、まず柔らかくします。これを荒起こしといいます。ようするに田んぼを耕すのです。耕すのにたいがいはトラクタを使います。トラクタの後ろにロータリとかプラウとかいうものをつけてドドドーとかき回すのです。ドドドっと土をかき回しますと、土の中にいるミミズやらカエルやらがぴょんぴょん飛び出してきます(ミミズは飛ばないけど、実際カエルも飛んでないかな)。それをねらって、いろんな鳥が集まってきます。こやつらは、トラクタをそんなに怖がらないのでかなり近よってきます。こちらとしては、トラクタの運転がかなりヒマなので、鳥が集まってきてくれるのは結構うれしいわけです。


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写真は順に、ハシボソガラス、セグロカモメ、ムクドリ、ハクセキレイ


カラスやムクドリ、ハクセキレイ、アオサギといった鳥は、すでに起こしたところを歩いて獲物を探したり、トラクタのすぐ後ろにいて飛び足してくるやつを狙ったりしています。だけど、ちょっと様子が違うのが、ときどきヒラヒラっと視界に入ってきては見失います。何かなと思ってトラクタを止めてじっと見ると、まだ耕してなくて、スズメノカタビラやらタネツケバナやらが生えているところに何かが・・・うーんヒバリです。このヒバリさんは、昭和の歌姫とは違って、たいそう地味なので地べたにいると風景に溶け込んでしまうのです。


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彼がヒバリ。色調整したけどやはりとけこんでいる。


さて、このヒバリのすごいところは、スズメほどの小さな体なのに地上から見えないほどの高さまで舞い上がっていってさえずることです。テイクオフとともにチュビチュビと言いながら登って行って、高ーいところでチュリチュリ・・・といい続け、力尽きると(?)チュピーとかいって急降下してきます。春になるとこのさえずりを盛んにするので、春を告げる鳥として、古来から、世界的に親しまれています。それにしても、飛んでいる間はずっと羽ばたいているし、しかも大きな声で鳴き続けるんですが、一回の飛行でどれくらいのカロリを消費するのかぜひ知りたいです。ヒバリのこの行動は、巣作りの初めのころに行われ、なわばりの宣言だといわれています。「ここは俺の陣地だ!」だと。ヒバリは、草原や河原に縄張りを作って地上で巣作りをします。ある文献によれば、平均的ななわばり面積は5,000平方m以上(5反部)以上もあるそうなので、あれだけ高く上らなきゃいけないのも合点がいきます。


なわばり争いは早春から始まって、ちょうど今頃までにほとんどかたが付いているようです。実際、もう空鳴きしていますから、彼にとってはそこがなわばりのはず。そこへトラクタはやってきます。容赦ないです。1000平方m当たり、ものの20分くらいで、これから巣を作ろうとしてた草原をかちゃかちゃにしてしまいます。いずれ、田んぼには水が入り、彼らのお好みの場所ではなくなるのだから、早めに追い出した方が親切とも言えるかもしれないですが、追い出された後、彼らの行く先はどうなるのか。河原はコンクリートだし、野原は駐車場になってたり。放棄水田はすぐにヨシやススキが茂ってしまって、ヨシキリなんかは喜ぶでしょうが、ヒバリにとっては面白くないでしょう。


東京都における調査をみると、1970年代から1990年代にかけてヒバリはものすごい勢いで減少したとのこと。もう東京の人なんか、ヒバリのこと自体よく知らないかもしれない(まあ石川でも知らない人多い)。ヒバリの減少は、ヨーロッパでも指摘されていて、麦の品種の転換とか、農地の大規模化とかが原因じゃないかといわれています。鳥というのは思ったよりも行動範囲が広いので、「あーヒバリいなくなったな。たぶんあれのせいだわ。」みたいな考えは、だいたいハズれますけど、現場で彼らを追い出している側から見ると、そりゃー減るだろ。って思うわけです。


農業っていうのは、自然破壊です。人類はそうすることにしたんです。ずいぶんと前に。だから、田んぼからヒバリを追い出すのも仕方がない。でもね。どこにも行き場がないほどにやりたい放題やっていいということはない。かつて、人間の破壊力は大したことなかった。だから、すきますきまにいろんな生き物が暮らしてこれた。だからあまり考えなくてもよかった。今はちょいと違います。ものすごい力で環境を変えられます。だから考えなきゃいけない。感じなきゃいけない。ヒバリもいないような農村じゃ、つまらないって。

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2016年03月18日

米農家は種もみを買っているという事実をどう考えるか

TPPやら遺伝子組み換えやら、まさに「感じねえかよ、このイヤな感じを」という感じです。テレビをたまたまみたら(普段はみないけど)、街角インタビューでTPPどう思いますかって聞かれてた方が、「安いものが入ってくるらしいので期待しています。」というようなことをおっしゃっていましたが、そんなわけないじゃんって思いました。どこかの知らない人が私を幸せにしてくれるなんて、いまどき、詐欺に決まってるじゃないですか。


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今年の種もみさん


さて、米農家の大部分は(私のところも含めて)種もみを買っているよという話をしました(前回のブログで)。もっというと、米はたいがい固定種なので、種もみを自分で用意しようとすればできるのに、やっぱり種もみを買っていると。手抜き?まあ、アウトソーシングだと思えばそんなものともいえます。ですが、もっと表向き(?)な理由が二つあります。それは、品種の管理とそれに関わる規制です。

まず、品種の管理。言っておきますが、米は生き物です。生き物は、進化し続けるものです。変化といった方がわかりやすいですかね。でも、商品としてはあんまり変化されると困ります。今日買ってきたボンカレーがなんだかハヤシっぽいってことになったら困るのです。米は基本的に固定種です。米は固定種なんだから固定されてるんでしょう?ということはありません。よそから違う遺伝子が花粉にのってやってきたら固定種とか関係ないです。米は基本的に自殖(自分の花粉と自分の胚珠から種を作ること)するので、よそから花粉がやってきてまざっちゃうということがあんまりありませんが、全くないというわけではなくて、数パーセント以下の確率でまざっちゃうらしいのです。そうやって混ざって一部にちょっと変化が起きて・・・というのが何代か続くとだんだんその品種の特徴が失われていくということが起こります。なので、混ざらないようにして種もみを生産するということが必要になってきます。実際どういうことをやっているかを説明するのは面倒だから、「原種」「原々種」とかでググってください。とりあえず、そういうなんだか厳密そうなことをやって種もみが用意されることで、コシヒカリはコシヒカリ、ひとめぼれはひとめぼれということが保証されているわけです。


次に品種の管理にまつわる規制。たとえば、平成28年産石川県産コシヒカリと書かれたパッケージで米を売りたいとしましょう。当然、今年に、石川県でコメを作るわけですが、できたぞ、さあ袋に詰めて売ろうじゃないかというわけにいきません。産年・産地・品種の証明を各都道府県から受けなきゃいけません。その証明をもらうには、米穀検査というものを受けねばなりません。検査自体は、「ああ、ちゃんと米だね」って言われればいいのですが、検査の対象になるのは、「なんだか厳密そうなことをやって」用意された種もみから育てたものだけです。自分でとった種もみから育てても検査さえしてもらえません。そうなると当然、たとえ、今年に、石川県で、作ったコシヒカリなのに、平成28年産石川県産コシヒカリと言って売ることができません。そういう決まりがあるから、コシヒカリと書いてあれば中身やちゃんとコシヒカリということが保証されるのです。純粋なコシヒカリの種もみからできたコシヒカリだけがコシヒカリを名乗ってよいのです。


というわけで、米農家は種もみを買うのが正義だ!と主張したいわけではありません。といってこんな仕組みは間違っているとも思っていません。商品を作るんだから品質管理は大事です。産年・産地・品種を書いちゃダメとかちょっとどうなのよとも思いますが、それだけでこんなの全部やめちまえとは言いません。生活保護をズルして受け取る人がいるから生活保護制度をやめようとかいう人に共感しないのと同じです(違うかな)。でも種もみは買うのが当たり前っていうのは、なにか、こう、まずいような気がするのは、気のせいですかねえ。

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2016年03月12日

「固定種」や「F1」についての大きなお世話な解説

みなさんこんにちは。今週は種もみの準備に入りました。と前ふりしつつ、いきなり話は斜めへ行きますが、最近は、遺伝子組み換えやTPPの件もあって「タネ」への関心が高まってますね。野菜を作るなら自家採種しちゃうなんて当たり前の世の中で「固定種」とか「F1」って何?なんて人に聞けない雰囲気ですよね。そんなわけで、今回は、その辺まだよくわからないというごくわずかな方々のためにちょっとした解説をしようと思う次第です。


まず、「固定種」と「F1」について。「岩波生物学辞典第4版」を見ますと、「固定種」というコトバはでてきませんが、「固定」ならあります。「生物の系統やメンデル集団で、一つの遺伝子座の特定の対立遺伝子の割合が100%になること。」とあります。なんのこっちゃと思われたあなたのために血液型でたとえてみましょう。日本には4種類の血液型があって割と均等に分布していますが、国によってはかなり偏りがあります。たとえば南米のグアテマラでは、95%O型だそうです。で、例えば、O型が100%の国があったとしましょう。右をみても左をみてもO型(恐ろしい・・・)。当然すべてのカップルはO型同士であり、その子供もまたO型になります。この状態が固定です。血液型という性質について遺伝的に固定されちゃっている状態です。それ以外の遺伝子はばらばらでもかまいません。血液型については遺伝子が固定されているのです。人間の場合、血液型は輸血のときに問題になるだけで、それぞれの個人の性質を決めるそれほど重要な要素ではないでしょうし、そもそも、おかしな思想でもないかぎりどんな遺伝子についてもそれが「固定」されていることに興味はありません。それとはちがって、野菜などの場合には、色とか形とか味とか、価値につながる性質が重要なので、それを決める遺伝子が固定されていて欲しいわけです。この状態になっているのが固定種なのです。


この国にあるときB型の人がどこからか流れ着いたとします。この人はB100%の国からやってきた生粋のB型です(これまた恐ろしい)。そしてその国の誰かと結ばれました。そうするとその子供はB型になります。ただし、この子供はB型の遺伝子とO型の遺伝子を受け継いでいます。この子は、B型特有の聡明さとO型特有のほがらかな性格で誰にも好かれたりしています(もちろんフィクションです)。この子がF1です。さて、この子が自分の伴侶を探していたら、なんとやっぱりB型国の出身者を片親にもつ素晴らしいF1に出会ってしまい、これが運命というものかといって結ばれたとします。しかしながら、その子供のうち親と同じような性格のものは二人に一人しかうまれてきませんでした。めでたしめでたし?さて、たとえ話でかえってわかりにくいという批判を無視しつつ、シンプルに言い直すと、「遺伝的にかなり違った品種同士を交配させたらできた何かよい特性をもったもの」がF1ということになります。


血液型の説明では、それぞれの親の性質のいいとこどりみたいな表現をしましたが、雑種強勢といって親の性質をさらによくした性質をF1がもっていたりするらしいです。そんなわけで、近年では、野菜のタネを買いに行くと、大方はF1とか交配種とパッケージに書いてあります。そのF1のタネをまいて野菜を作ると(ちゃんとやれば)予定通りの野菜になりますが、そこから種をとって次の年にまいても同じものはできません。遺伝的にばらばらになるからです。F1の問題点といわれるのは、まさにこの点であって、農家は自分で作った野菜から種をとっても次の年に同じ野菜がとれない、毎年毎年、タネのメーカーから買わなくちゃいけないということになります。


さて、ここまでで固定種やF1についてはよくわかりました。でも、米作っているくせに、なんだか野菜、野菜といっているけど米はどうなのよと思われたあなたのために、米の話をしましょう。実をいうと、米づくりの現場では、あんまりF1が使われていません。とはいえ、米ではF1が無縁というわけでもありません。私たちが食べている米、たとえばコシヒカリとかひとめぼれといった品種は昔からあったわけではなく、何かの品種を交配させてつくったものです。コシヒカリでいうと農林22号と農林1号という品種を交配しています。なので最初に2つの品種を交配させたときには当然F1の子供ができます。米の品種改良の場合、このF1はゴールではなく、スタート地点です。ここから何代も選抜とか戻し交配というのをやって、特定の遺伝子を固定させていきます。戻し交配をO型国の例で説明すると、B型異邦人の孫の中でB型の性質をもっている子供を選び、またB型異邦人との間に子供を作るということを繰り返すことになります。もう人のたとえ話にするのは限界になりつつありますが、そういうことをし続けたら、血液型についてはO型の遺伝子が追い出されて、生粋のB型(BB型)になる。つまり固定されるわけです。ここまで来たらわざわざB型異邦人を連れてこなくてもその集団から生まれる子供はいつもB型です。血液型以外の性質についてはO型国らしいものもあったりしますが、血液型はB型です。とういうわけで、コシヒカリを育ててとったタネ(種もみ)を使って次の年にイネを育ててもちゃんとコシヒカリができるのです。コシヒカリに必要な性質を決める遺伝子は固定されているのです。


なるほどーじゃあコメ農家は毎年自分のところでとったタネを使って米を作ってるんだね。素晴らしいね。と思った方。すみません。コメ農家も種もみ買っているのです。これについての言い訳を今から考えるので続きはまたこの次に。ではでは。

posted by ばんばスタッフ at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 農業一般

2016年03月04日

春の準備作業開始です

みなさんこんにちは。3月になってしまいましたね。石川では、冬も終わりかけになってから雪が結構ふったものの、確実に春に向かっている今日この頃です。水稲農家はこのあたりから5月の田植えに向けていろいろ忙しく、気ぜわしくなってきます。時々、田植えと稲刈り以外にやることないよね?みたいなことを言われたりしますが、苗を育てるための設備の準備や種まき、育苗、田んぼの水回りのチェックと荒起こし、代かきなど、田植え前の仕事もひとつひとつどれも重要です。

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写真 芽を出させるための温室を作っているところ


ところで、イネに限らず農作物の栽培では、苗半作とか苗七分作といって苗づくりがもっとも重要といわれています(今、ひとつひとつどれも重要といったばっかりですが)。実際、苗が良くないと、後でどんなにがんばってもリカバリ不能という場合もあります。はじめ良ければすべてよしという言葉がありますが、はじめ悪けりゃ後大変という方が真理じゃないでしょうか(まあ、はじめからすべてうまくいったまま終わる人生なんて面白くないですよねー。はい負け惜しみです)。話がそれましたね。私どもの田んぼでは、自然栽培用も含めすべて田植え機による機械植えです。機械にマット苗(箱苗)をセットして植えます。この箱は、30cm×60cmの大きさで、何千粒もの種もみがまかれるわけですが、箱の中でこの苗はいいから使おうとかこれはダメとか選ぶことはできません。人間と違って機械は手加減なしで植えるのでマット苗全体の出来不出来がちゃんと植わるかどうかに直結するわけです。苗箱の中で苗が少ないところと多いところがあったりすると、そのまま田んぼで苗が植わっているところと植わっていないところができてしまいます。自然栽培用の床土には、山土にボカシを混ぜたものを使っているのですが、これがいろいろやっかいだったりもします。たとえば、ボカシに使っているモミガラはふつうの床土からみるとやや粗大なのでヘラで平らにしようとしてもモゲモゲっとして平らになってくれません。それにモミガラが邪魔して水を吸わないと水たまりができて、上からまいた種もみが偏ってしまったりします。そもそもボカシ自体が均一に発酵していないと発芽やら生育がばらついたりしてしまいます。そんなことにならないように願いたいですが、ちゃんと苗になるまではらはらです。


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写真 こんな風に水がひかないでたまっちゃうと困ります。

さて、説明なしでボカシって言葉を使ってきましたが、巷ではこの言葉普通に使うんでしょうか?少なくとも自分の学生時代(約四半世紀前)、自分は知りませんでした。今となっては、「うちのボカシはさあー」みたいなことを言うとちょっとかっこよくない?とか思ったりするのですが、どうなんでしょうね。今回使用したぼかしは、去年の11月頃にモミガラと米ぬか、水をまぜ2か月くらい発酵させたものですが、菌が分解に使う窒素分と分解する炭水化物があればなんでもボカシになります。家庭で作るコンポストもボカシですね。ボカシって変な言葉だなと最初のころ思いましたが、実際自分で作ってみると、なるほど、最初は明るい色でしっかりした形の材料(うちではモミガラ)がだんだん「ぼけて」きて土のようになってきます。


このボカシを作るのは様々な菌類です。ボカシを作るとき、特別よそから菌を投入しているわけではないので(もちろん投入してもいいです)、そのへんの奴らが勝手にやってきて勝手に働いてくれます。まさに小人さん。面白いなと思うのは、発酵の初期からだんだん働く菌類が変わっていくということです。最初のころは、植物繊維を分解して糖を作る連中。次にその糖を使ってタンパク質を分解する連中。その途中でやたら温度を上げたがる連中とか水が多すぎたときにがぜんと頑張りだす連中とか(こやつらにはがんばってほしくない)。そういうことは匂いとかでなんとなくわかります。こちらとしてはボカシの温度をみながらそやつらをなだめたり(切りかえし)すかしたり(水追加)してボカシの完成へもっていくのです。

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写真 ボカシ作成中(去年の11月下旬ごろ)。まだおいしそうな匂いがします。


こういうことをしているといつも思うことがあります。「もやしもん」の主人公みたいに菌がみえたら面白いだろうなあと。なんとなくじゃなくもっと親しくしたい。彼らは目には見えなくても確実に働いています。僕らは知識として、そういう世界があることを知っているのでそういう見方をしますが、昔の人たちにとってはまさに魔法のようなできごとだったでしょう。ところが、近年では、いろんな分析手法が発達してこの神秘の世界にかなり肉薄できるようになっているのです(お金がかかりますが)。今後は、ボカシに限らず、自然栽培の土がどのように変化したり維持されたりしているのか菌類の世界からわかってきたらいろいろ面白いに違いありません。農業の現場ではこの見えない世界の住人の働きは非常に重要です。コンピュータに例えると、OSの一部といってもいいんじゃないでしょうか?農業者と菌とのかかわりがもっと緊密になれば明日の農業が拓けてくると思います。ずいぶん前になりますが、上野の国立科学博物館で「もやしもん展」をやっていました。そこで来場者に子供の多かったこと。もやしもんの「醸すぞー」キャラクターが人気だったからでしょうけども、菌類への興味をもつきっかけになればいいなと思ったものです。私たちは、石油文明の真っただ中に生まれ、そこにどっぷりつかっているわけですが、この「火を使わない」文化を大事にしていきたい、大事にしていってほしいと思います。


さてさて、今年使用する苗箱は2月中にすべての土を詰め終わりました。9千枚あまりの苗箱のうち、300枚ほどが自然栽培用の苗箱です。ボカシの中に住んでいる菌類とともに出動待ちです。


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posted by ばんばスタッフ at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 農業一般
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